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「ロスト・イン・ジュネーブ」:時計入門者、聖地をさまよう

時計製造の都で経験した冒険と小さな災難。

急速に日が暮れる11月の午後、私はジュネーブに到着した。この日は金曜日で、月曜の朝には現地を発つ予定だ。私は、観光客につきものの焦りが出た。どうしたら全部を見られるのだろう? 見たものをどうやって理解すべきか? この街を理解するだけでなく、時計というレンズを通して、時計ビジネスというレンズを通して、ひょっとしたら時間というものの本質を通して、この街を見る必要があった。日曜日は先約で埋まっていた。しかし、そのアポイントを除いて、金曜の残りと土曜日は予定がなかった。

私は24時間ほどの自由時間でジュネーブをすべて詰め込もうとしないことに決めた。無理に理解しようとしないことに。ただ、すべてを受け入れることにした。

中級ホテルのロビーは、中級の香水の匂いがした。アッシュブロンドのショートヘアの年配女性がシャンパンのフルートグラスを持ち、おそろいの茶色いジャンパーと白いブラウスをきた、4歳と6歳くらいの孫娘(おそらく)をにこにこ見ている。フロントデスクには、インディーズミュージシャンかロッククライマーかコンテンツクリエイターかと思われる、中年を過ぎたばかりのアメリカ人男性3人がいた。彼らは、寛容で可愛くて感じのいい、でも確実に関心のなさそうなフロント嬢の気を引こうとしていた。

タイプ 新品 メンズ
型番 6263
機械 手巻き
材質名 ステンレス
文字盤色 シルバー/ブラック
外装特徴 タキメーターベゼル
ケースサイズ 37.0mm
機能 クロノグラフ
付属品 内 外箱

私の部屋は広く、ベルベットのシェードがベッドに敷かれていた。掃き出し窓は大きく開く。私はここ数年、ホテルの窓を3インチ以上開けることができなかった。ランプや自分自身を、窓から下のガラスの屋上に投げ出さないだろうと、客を信用するジュネーブ人の性格について思いめぐらせた。

外を見ると、何の変哲もないオフィスビルが、まるで毎日大勢の作業員がスイスの特殊な溶剤で磨き上げたかのような、鮮やかな白さをしていた。顔を洗い、コットンの靴下をウールの靴下に履き替えて、ジュネーブのメインストリート、ローザンヌ通りへと歩き出した。

ホテルと駅のあいだには少なくとも6軒の時計店があり、どれも似たようなつくりで、観光客がスイス時計を買うために、とりあえず最後に駆け込むような店だった。そのうちの1軒が、私のホテルのすぐ隣にあった。シチズンやティソのような聞いたことのあるブランドと、ヴレネリ(Vrenely)のような聞いたことのないブランドとがあり、それは白文字盤にバトンマーカーの、偽カラトラバのような精彩を欠いたものをラインナップしていた。そして、ロレックスとタイメックスが一夜限りの恋に落ち、タイメックスがそのまま子供を育ててしまったかのような、グロヴァーナ(Grovana)というブランドもあった。

入ってみるべきか迷った。もしかしたらこの店は、私が見逃してはいけないジュネーブ的なものの代表格かも。同じショーウィンドウの左端に帽子をかぶった豚の置物があり、値段は24スイスフラン、ドル換算では2ドルほど高い。私は先に進んだ。

ジュネーブを「詰め込む」ために頑張るのはやめようと心に誓った直後、気がついたらこんなことをやっていた。セメントとガラスでできたワーウィックホテルの前を通り、錬鉄製のバルコニーやカラフルなアルプス風のシャッターを備えた19世紀の美しい建物の前を過ぎたあと、15年間ジュネーブに住んで最近アメリカに戻った友人に面白い(と私が思った)総括論をメールしていたのだ。

私は「ジュネーブ=化粧をしたトロント 」と書いた。

スカーフを巻き、今年流行っているキャメルのコートにベルトを締めてショートブーツを履いた、きちんとした身なりの女性たちを観察したが、明らかにフランス人らしい威勢のよさや口調を別にしたら、それはこの1週間で私が見慣れていた景色だった。

「ジュネーブ=よりクリーンで血の通わないパリ」と書いた。

友人からメールが返ってきた。「これは響かないよ。もう数時間過ごしてからじゃないと。『Parfums de Beyrouth(レストラン)』と僕の整骨院に行ってみてよ」

「私は時計コラムニストであって、整体コラムニストではないから」と返事を書いた。彼はこう答えた。「今予約をしている 」と。

アルプ通りとローザンヌ通りの角で横断を待っていると、白いダウンジャケットに金髪、大きな白いサングラスをかけたジュネーブのリアル主婦のような女性が運転する白いアウディが、時速65マイル以上出して疾走してきた。平らな荷台のトラックも同じスピードで走っている。「ジュネーブの人は運転が荒い」と、私はメモアプリに書き込んだ。数分後、私は「マイ・ミート」というレストランを通り過ぎた。「ジュネーブでは、人々は非常に真剣に締め切りを守り、レストランをどう呼ぶかを決めるために遅れるくらいなら変な名前をつけるようだ」と書いた。